風葬・鳥葬・土葬。まだ、お墓を建てるという風習の無かった頃、遺体はこうして大自然の営みの中に返されていました。しかし愛す者を葬ったという目印や想いでを残すため、人間は、「お墓」を建てるようになったたのです。【はか】という言葉の語源については多くの説がありますが、、「葬り(はぶり)」の【は】と、場所の表す「処」【か】が結びついてできたというのが通説のようです。
日本では、仏教の伝来以前に、権力者たちのために巨大な土盛りの墳墓、古墳が築かれた時代がありました。その代表的なものが仁徳天皇稜です。土盛りの下には石室が設けられ、死者のために日用品等がおさめられていました。
仏教の伝来移行、仏教思想の普及とともに、お墓の形式は大きく変わります。石塔や石碑の出現です。お釈迦様の死後、その舎利をおさめるために仏舎利塔=ストゥーパが造られました。石塔は、そのストゥーパを形どったものです。鎌倉時代頃最も多く造られ、さまざまな形のものがあります。石碑は、中国の位牌型のものが源流です。これが変化して、江戸時代頃に現在の様な和型のお墓が生まれ主流となりました。
目印の石、古墳の石室、石塔や石碑、お墓の形は時代を追って変遷してきましたが、変わらないのは、人々がお墓の素材に石を求めてきたことです。それは固くて丈夫な石が自分の死後も永い間生き続け、お墓を守ってくれるということを知っているからなのでしょう。